今村夏子「星の子」あらすじ・概要
題名 | 星の子 |
作者 | 今村夏子 |
出版社 | 朝日新聞出版 |
ページ数 | 227ページ(解説除く) 巻末に小川洋子さんとの対談あり |
出版 | 2017年 |
「わたし」は病弱だった。
両親は「わたし」のために「怪しい宗教」にのめり込んでいった。
「わたし」のためだった宗教は、やがて「わたし」とは関係なくなっていくが、
両親はずっと「怪しい宗教」を信じ続けていた。
私は中学3年生になった。
今村夏子「星の子」その物語と感想
以下、ネタバレ、考察含みます。未読の方はご注意ください。
これは宗教2世の物語だ。
でも、今ニュースで問題になっている宗教二世とはまた違うように思う。
これは、2017年に刊行されていて、今、問題となる話の前であり、
それでも、そこには厳然と宗教二世の苦しみはあったのだろう。
でも、ここで主人公が「苦しい」とはっきり口に出すことはない。
小さい頃、病弱だった「わたし」ちひろのために、両親は会社の
同僚から勧められた「水」を飲み始める。すると、ちひろはどんどん「健康」になった。
両親はどんどん、「宗教」にのめり込み、ちひろのためだった宗教はやがて、
ちひろのためでなくなる。
家族はその「水」を飲み続け、家はどんどん狭くなっていく。
おじさんは時々やってきて、両親たちを説得する。
お姉ちゃんは家を出て行ってしまう。
ちひろは、お腹いっぱいにご飯が食べられなくて法事を楽しみにしていて、
心のどこかで両親のことも、教会のこともおかしいと思っているし、
恥ずかしいとも思っているが、
それを両親に言って争うことはない。
両親はどこまでもちひろに優しく、家族は仲がいい、ように見える。
でも、お姉ちゃんは多分学校でいじめられていて、
ちひろも友達から「あの家の子と遊んじゃいけませんと言われた」と言われている。
今村さんの小説は、
「これはこうだ」と良いとか悪いとかはっきりと言ってくれるわけじゃない。
そこには静かな違和感が提示される。
それっておかしいんじゃないの?とこちらが静かに思い、
その違和感の答え合わせをすることはできない。
その宗教が本当はどんなもので、よくない噂を耳にしても
その真実は明かされない。
ちひろが聞いたことであり「それが本当かどうかはわからない」とちひろは
考える。
中学3年生になったちひろが恋をした先生は嫌なやつ。
友達のなべちゃんは、意地悪だけれど付かず離れずちひろと話している。
ちひろの会話もどこか的外れなような気もする。
でも、そういうこと全部が、「これはこうだ!」と高らかに宣言されるよりも
真に迫っているようにも思える。
ちひろは、高校受験を控えておじさんから「自分のところの養子にならないか」と提案される。
ちひろは断る。
けれども、ラストシーンで、両親がちひろをずっと引き留めて星空を三人で見ている姿から、
私はちひろはおじさんのところに行くのではないか、と思った。
両親は悪意を持ってちひろを引き止めるわけではない。
始まりは子どもの健康を願ってのことだったはずの「水」は
いつしか、家族から「普通の幸せ」を奪った。
家族のために使われるはずだったお金は、全部教会に使われた。
ちひろは成長期に食べたいだけ食べることもできない。
それは立派な虐待だが、ちひろがそれを口にして、両親を断罪することはない。
それはちひろが生まれながらに両親が「そう」であり、
まだ外の世界をはっきりと知らないかも知れない。
一方で、お姉ちゃんは後から両親が「そう」なり、どんどんと変わっていく
両親を目の当たりにし、おじさんに協力もして両親を目覚めさせようとするも
失敗し、絶望して、先に外の世界を知ったがために
家を自ら出ていき、行方不明となる。
こうした「わたし」の視点を、「わたし」ではない今村さんが描ける、ということに
今村さんの凄さが窺える。
壮絶な苦しみを、体験談をもとに書いたのではなく、
「わたし」の目から「家族」というものを書いたこと。
並んで星を眺めている親子の姿は「幸せ」そのものなはずなのに、
それは大変、悲しく映る。
私はちひろは出ていくんじゃないかと思ったけれど、
毎年教団の集まりに参加しているちひろが出ていけるものなのかどうか、わからない。
だからこそ、お父さんとお母さんが「もう少し」「もう少し星をみよう」とちひろを
引き止める姿が悲しく映る。