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吉田修一「ミス・サンシャイン」読了。
感じいったいくつかの点について綴りたい。
「ミスサンシャイン」はシロかクロか
吉田修一さんといえば、シロ吉田とクロ吉田があると言われていて、
その作風が二つに分かれる。
シロといえば、「横道世之介」に代表されるような、比較的ポップな感じのもの。
クロといえば「悪人」や「怒り」のような犯罪をテーマにしていたりと、暗い感じのもの。
今作「ミスサンシャイン」を読み始めたとき、おっこれは「シロ」だな、と感じた。
主人公、一心からは世之助の匂いを感じたからだ。
主人公、一心が大学院の教授からアルバイトとして女優・和楽京子の倉庫整理を頼まれるところから物語はスタートする。
一心は自分を「平凡」と評する。その平凡ながらも、好感の持てる態度から、一心はすぐに和楽京子こと「鈴さん」たちの
生活にすぐに溶け込む。
この、誰の懐にもすんなり入る感じ、飄々とした感じ。そこから「世之助」を感じたのだが、
読み進むにつれ、一心の「平凡だけど平凡に終わらない感じ」が読み取れてくる。
世之助もまた平凡そうであって、独特な魅力があるのだが。
「シロ」か「クロ」で分けるなら、「シロ」だろうけれど、
そこに付随するテーマは「シロ」「クロ」では分けられない。
世の中が「シロ」「クロ」では分けることができないように。
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「ミスサンシャイン」一心に思う「平凡」とは
一心は自分を平凡だと言う。
長崎から上京し、まずは普通に就職し、それなりの企業に就職し、
ふと辞めてしまう。そして、大学院に入り直し、
普通の恋をしている。
「普通」なのだと言うけれど、私には彼は
普通であることの大切さ、尊さ、儚さを存分に、そして痛切に知っている、
偉大な普通の人である、と思う。
彼の恋する桃ちゃんと関係がうまくいっている時、一心はその「幸せ」にふと不安になる。
「普通の幸せ」に怯えるのは、「普通の幸せ」がいかに儚く、脆く、危うく、そして尊いかを
きちんと知っているかではないかと思う。
そこには、きちんと彼の過去が関係している。読み進めれば、そこに彼の
「普通に幸せ」であることを大切にする所以がある。
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「ミスサンシャイン」のヒロイン•和楽京子、そして鈴さんの魅力
女優・和楽京子こと鈴さんは大変魅力的な女性である。
その魅力に、開始数ページで私もすっかり虜になる。
作品中に散りばめられた、数々のエピソードはまるで、和楽京子その人が実在するかのようである。
例えば、鈴さんがタクシーに乗る描写
鈴さんは背中をつけずに座るので、まるでジェットコースターにでも乗っているように、シートのグリップに掴まっている。 ただ、
そのピント伸びた背筋のせいか、普通の個人タクシーがまるで馬車のように思えてくる。
こうした具体的なエピソードは、まるで誰かその人本人を描写しているようである。
女優は皆そうなのだろうか。
「馬車」という描写で、私の頭の中にその優雅さ、凛とした美しさがしっかりと伝わってくる。
80歳を超えてもなお、魅力的な女性。
こんな風に年を取れたなら…女優じゃないから難しいか。
とりあえず背筋を伸ばしてみよう。
まるで実際にあるかのような映画の描写
和楽京子の荷物を整理するバイトの一心。
荷物を整理しながら、過去の作品に触れる。
戦後から日本映画の最盛期を駆け抜け、ハリウッドまで進出する和楽京子は
数々の作品に出演している。
その作品を一心が観るシーンがある。
それは、まるでその映画が本当に実在するかのように、
あらすじだけではなく、細部まで作り込まれている。
吉田さんの作品は、映像のような描写がすごくよくできていると思うのだが、
映像を見ながら、切り取っているような…
デビュー時の「最後の息子」は私の大好きな作品の一つだが、
それも、主人公がビデオカメラを回しながらそのカメラ越しに
物語が進行していくという形で、まるで映像を見ているように頭に浮かぶ。
そんな風に頭の中に実際の映像が作り込まれているのか、
「ミスサンシャイン」の中で描かれるその映画のその映像を検索して
観られるものならこの目で見たいと思うほどに、
実に鮮やかに描かれている。
和楽京子が出演する、その映画の迫力、演技の息遣いまで聞こえてきそうである。
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吉田修一の故郷・長崎への想い
和楽京子も一心も長崎の出身である。
そこには原爆という重いテーマも関わってくる。
一心は戦後の世代だが、長崎では小さい頃から当たり前のように
原爆の詳しい学習を何度も何度も繰り返していくそう。
そして彼女は亡くなり、私は生きた。
彼女と私を何かが分けた。
わたしたちを分けたその何かが、私は憎くてなりません。
(中略)
膻中というツボがあります。
(中略)
寂しくてどうしようもない時、悲しくてどうしようもない時、
ここを押さえてみてください。
私たちは大切な人を大勢失いました。
私も、皆さんも、あの戦争で大切な人を大勢失いました。
寂しくで眠れない夜、ここを押してみてください。
そしてゆっくりと深呼吸をしてみてください。
和楽京子さんの、吉田修一さんの言葉に励まされながら、
失った誰かと、生きていく自分に思いを馳せる。
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