「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2」概要
英国で暮らす作者と夫(アイルランド系)とその息子。
息子である「ぼく」が元「底辺中学校」へ入学することになった時から一年が前作、「ぼくはイエローでホワイトで、
ちょっとブルー」である。
「2」はその続きとなる。
学区の関係から「カトリック系」の小学校へ通っていて、そこからそのまま「カトリック系」へ通うこともできたが、
元「底辺中学」である今の学校へ通うことを決めた作者の息子。
いろんな人種の人や貧しい人、移民の人、中流の人、たくさんの人が通う元「底辺中学校」。
そこで出会い、「ぼく」は時に傷つき悩むことも経験しながら大人になっていく。
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」2感想・中学校や子どもの進路についての悩みは万国共通である
元「底辺中学校」それは、いわゆる日本でもよく言う「ちょっと荒れた中学校」。
荒れた地域、素行のよくない子のいるところ、それはどこの国にもある。
どこの学区がいいとか、そのためにそこの学区へ引っ越すとか、私立に行かせたいだとか…
そういう事はどこの国にもあるんだなあと痛感。
日本は移民の人がまだまだ少なく、民族的に英国ほどのばらつきがない。
だから少数民族の人がさらに肩身を狭い思いをしているだろうと思う。
英国は日本よりも移民の人が多く、さらに収入にももっと格差があるようだ。
作者は夫がアイルランド系の英国人、作者自身が日本人、そして息子はその二人の子ども、
そして収入的には、夫は労働者階級で中流。
(これは金銭的に余裕のある移民の場合はまた全然話が変わってくるのだろう。)
そうした目線から見た、公立の元荒れた中学での生活や教育面、英国の暮らし、というものが
大変興味深く、勉強になる。
そして私が何より好きなのは、この作者の息子の「ぼく」の一つ一つのセリフや、物事への取り組み方なのだ。
作者の観点や視点とはまた違っていて、作者が問題視していたり、熱くなっているところを
そこで生活を送っている当の本人はもっと、クールというか落ち着いているというか、彼の優しく落ち着きがありながら
冷静で、でも一生懸命に彼が今、生きている一つ一つと向き合っていることが伺える姿勢が、私は大好きだ。
日本人で日本で暮らして、周りの友達が大体同じような価値観で生きているとしても、悩むことの多いお年頃だ。
それが、「ぼく」は少数の「イエローでホワイト」と自覚しており、でもそこに友情があり、
友情があっても収入面や生活面の格差がある子がいたり…
それらを全部言語化しないまでも、たまに口にする、彼の言葉が落ち着いていて、すごく好ましい。
政治のこと、性別のこと、人種のこと、格差のこと、住んでいる地域のこと、学校の教育プログラムのこと、
子どもの成長のこと、
あれこれと学ぶことが多い、
大変良い書籍である。「『なんで君みたいな、いい小学校に行った子がここに来てるんだ』って教室で言う子がいると、ああ僕は大きな間違いを
犯しちゃったのかなと思うし、音楽部でバンドの練習をしているときとかは、カトリックの学校じゃこれはできなかったなと思う。
どっちが正しかったのかはわからないよ。僕の身に起きることは毎日変わるし、僕の気持ちも毎日変わる」
(中略)
「でも、ライフってそんなものでしょ。後悔する日もあったり、後悔しない日もあったり、
その繰り返しが続いていくことじゃないの?」
(本文より)
「ぼく」を大変好ましく思っている私だが、「1」を読んだ時に日本で彼が傷つく言葉を浴びせられているのを
見て、ああ、そんな日本でありたくないなあと思った。
今回は湯布院で、日本で働く素敵な「外国人」と出会ったようだけれど、
素敵な「日本人」でなかったことは残念。いつか素敵な「日本人」と出会えたと思って欲しいし、
そうあれるようになりたいなと思う。