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「ミシンと金魚」あらすじ・概要
タイトル | ミシンと金魚 |
作者 | 永井みみ |
出版社 | 集英社 |
ページ数 | 138ページ |
出版年 | 2022年 |
デイサービスに通うカケイさんの目線で進行する物語。
カケイさんは昔のことをつらつらと思いつくままに話し、
お医者さんに疎ましそうな顔をされる。
「みっちゃん」はデイサービスでお世話をしてくれる人たちの
ことを、みんなそう呼んでいる。
大きな「みっちゃん」もいれば、小さい「みっちゃん」もいる。
今日はどの「みっちゃん」かなと思いながらお世話してもらっている。
カケイさんの視点で交錯する「今」と「過去」
カケイさんの人生。
カケイさんに見える人々。
以下、感想にネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。
「ミシンと金魚」感想
認知症の人が実際にどういう目線でいて、どういう思考回路でいて、
どのように思っているのか、
それを私は知らない。
認知症と診断されていても、会話は普通だなと思うこともあるし、
あれ?こういうところが認知症と診断されるということなのかな、とも思う。
カケイさんの記憶が行ったり来たりする中での物語。
時系列がバラバラの思いつくままに語られる、カケイさんの過去。
けれど、そこにはきちんと思考があり、認知症でない、自分を世話する人が自分をどう扱い、
どのように思っているか、どう接しているかを冷静に見つめている視点もある。
冷静に見つめながらも、それが客観的か否かはわからない。
そもそも認知症の人でなくても、主人公目線で語られるそれがいつも正しいとは限らない。
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そして、その認知症であるカケイさんを取り巻く人々が、
本当はどういう人なのか。それもわからない。
認知症を取り巻く人を思うとき、その人たちがどういう気持ちでその行動をとっているのか。
それは見えにくいように思う。
「みっちゃん」は全面的に「善」なるものとして描かれているが、
それはお世話をしてくれるから、ではなく、
娘・道子を投影しているからに他ならない。
カケイさんにとって、カケイさんの人生の中で唯一の「幸せ」の象徴である
「道子」という娘の存在。その存在を投影したデイサービスの世話をしてくれる人たちは
「無邪気」であってもそれは「可愛らしい」存在となり、
絶対的に「善」なる存在として描かれる。
一方で、彼女がそうなる前から関係性のある、義理の姉・広瀬のばーさんや嫁は
意地悪く描かれている。
広瀬のばーさんは怖いし、嫁も怖く描かれている。
けれど、本当にそうなのだろうか、とも思う。
広瀬のばーさんについては、最後にカケイに話しかけてきて、カケイの知らなかった過去が
明かされる。決して「いい人」とは言えなくとも、カケイは不幸ながらも守られてきたことを知る。
嫁については、カケイの頭を叩くシーンがある。
何つー嫁だ、という描写だが、
彼女は夫亡き後、一人でカケイの面倒を見てきた。
カケイの遺産を狙っていて、遺書を書かせようとしたりする。
それは、もちろん「ひえー、恐ろしい〜」という描写なのだが、
カケイのトイレの始末はきちんと?しているようにも見える。
直接、血がつながった人たちがみんないなくなってしまった中で、
カケイを面倒を見てきた二人の女性。
血のつながらない女性二人。
認知症であるカケイの目から語られるだけではわからない、
見えない、人間というものが、少し垣間見える。