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【ドラマ感想】Netflix韓国ドラマ「二十五、二十一」感想•あらすじ

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【ドラマ感想】Netflix韓国ドラマ「二十五、二十一」感想•あらすじ

PexelsによるPixabayからの画像

Netflix「二十五、二十一」キャスト&登場人物

ナ・ヒド/キムテリ

出典元:Netflix

フェンシングに情熱を燃やす高校生。

ユリムのファン。

インターネット上に「ライダー37」として書き込みをする。

【キムテリその他出演作品】「スペーススイーパーズ」「悪鬼」「ミスターサンシャイン」「ジョンニョン:スター誕生」ほか

ペク・イジン/ナムジュヒョク

出典元:Netflix

貸本屋や新聞配達で生計を立てる苦学生。

のちにUBSのスポーツ記者となる。

【ナムジュヒョクその他出演作品】「まぶしくて」「ヴィジランテ」ほか

「二十五、二十一」青春ドラマにドキドキ

時は1999年前後。

「IMF危機」。歴史で学んだような気もする…。

不況の韓国で、それでも明るく生きようとする男女の物語…

この時代に青春時代を過ごした人でも、そうでなくても

自分の青春を重ねずにはいられない。

なぜだろう、そんなドラマだ。

出来事の一つ一つ、ファッション、そういったことが自分の青春時代のど真ん中でなくても、

ドラマの中には必ず自分のいるような、

自分の青春時代を思い出すような、そんな甘酸っぱいものがたくさん詰まっている。

キャストキム・テリ、ナム・ジュヒョク
原作・制作チョン・ジヒョン、クォン•ドウン
話数全16話

スポーツドラマ要素あり、恋愛ドラマ要素あり、友情ドラマ要素ありの

盛りだくさんのドラマだった。

魅力をいくつかに分けて綴りたい。

最後、ネタバレ箇所もあるのでご注意いただきたい。

「二十五、二十一」スポーツドラマとしての魅力

ヒドは幼い頃からフェンシングに熱中している。

フェンシングの試合シーンが何度も差し込まれるが、迫力があってかっこいい。

思わずフェンシングやりたいな…と思うほど。

プレ、アレ

技?が決まるたびに、ヒドが雄叫びをあげるのだが、それがまたかっこよくて…

対するライバルのユリムはその外見からも相まって美しい…の一言に尽きる。

ヒドは制服の下にジャージ、サンダルばきに外股で「ふふんふーん」と歩くような

ボーイッシュというのか、大雑把というのかそれがまた魅力的なのだが、

フェンシングをやっている姿はただただかっこよく…

お、男前…と惚れ惚れしてしまう。

試合シーンだけでなく、理不尽な部活先輩との攻防、後輩を応援する姿など

スポ根漫画のような要素がたくさんあって、これまたいいのだ。

フェンシングってかっこいい…と思ったが、なかなか習う場所が近くにない。(涙)日本で言うなら剣道もかっこいいけども。

「二十五、二十一」友情ものとしての魅力

ヒドのライバル、コ・ユリム。

コ・ユリムはその外見の儚さと、生い立ちの貧しさから、

清貧なイメージで国民の英雄として、人気を得ている。

初め、衝突してしまう二人だが、やがて仲良くなっていく過程がまた実に微笑ましい。

友情を築いてからの二人はただただ仲睦まじく、ユリムは可愛く…それを揶揄するヒドの姿も

面白みがある。

ヒドとユリムだけではなく、フェンシング漬けの二人の高校生活に彩りを与えてくれる

ムジンとスンワンの存在もまた高校生活に輝きを与えてくれる。

フェンシングばかりで、修学旅行も行けなかった二人のために

みんなで一泊の旅行に行くシーン、

こういうのがわけもなくドキドキするって、みんな知っている。

経験がなくても、ただ胸が高鳴るその瞬間を知っている。

コユリム役のボナ。初めましてだったけれど、宇宙少女というアイドルグループの子らしい。うん、可愛い。

「二十五、二十一」恋愛ドラマとしての魅力

心の中にそっと閉まっておきたい、過去の大切な大切な思い出。

たとえ、結ばれることがなくても、

今、隣にいなくても、それでも自分の人生を強く動かしてくれた誰か。

あの瞬間、あの時間に二人で過ごしたことの意味。

あのとき、あなたがいなかったら、今の私はいないと思うような人。

本当はずっと大切にしていたくても手放すしか無かった、あの恋。

お互いに大切だった時間を知っているのに、罵りながら別れるしか無かった、

悲しい思い出。

そうやって乗り越えていくしかない。

それを、取り戻すことができた二人は幸せだと思う。

「別れ」のやり直しなんて本当はできない。

どこにいても、応援している、そんなふうに思えたなら、

それはアンハッピーエンドではない。

veronica111886によるPixabayからの画像

「二十五、二十一」にてキム・テリの魅力にハマる

本作で初めましてのキム・テリ。

17歳を見事に演じきっている彼女が31歳だなんてよもや気づくまい。

見た目の問題ではない。

そこから溢れる「エネルギー」、それこそが17歳だった。

生命のエネルギー、青春のエネルギー、いろんなことに対する明るい力。

パワー、バイタリティ、命から溢れ出てくるそれらが17歳そのものだった。

仕草や喋り方、そういったものがいわゆる演技力だろう。

そこに、さらに元気の良さとエネルギーを足したことが「17歳」そのものではないだろうか。

それに対して、本来年下であるはずのナムジュヒョクが、いつもながらの苦労を重ね、

感情をコントロールした姿で、ヒドを包容するイジンを演じている。

「スタートアップ」の時には無かった、「包容力」で、さらに魅力が増している。

どちらの彼がお好み?と問いたくなる。

ナムジュヒョクとえば「まぶしくて」もオススメ。

青春ドラマとは

青春ドラマとは、ただただテンションが高くて楽しそうなものじゃないんだと実感。

ここに描かれた「青春」には

青春の傲慢さ…

何でもできる、何でも手に入るという、あの頃特有の全能感が描かれている。

あの底抜けに明るい、あの輝きは、

そうだ、何でも手に入ると思っていたんだ、だからあんなにも毎日が楽しく

逆に手に入らないことにヤキモキして、うまくいかない時には

どん底まで落ち込んでしまう。

そんな全能感こそが青春なのだ、と気がつかされた。

今が旬であることの切なさ、儚さもどこかで感じ取り、

焦りがあり、生き急ぐように遊び、

恋も友情も全て手に入ると思っていた。

永遠に続くように思っていながら、

どこかで今しかないとわかっている。

あの煌めき、儚さ、切なさが実にうまく描かれている。

だからこそ、二人は結ばれなかったのだろう。

全ては手に入ることがないことを私たち大人は知っているから。

それぞれに成功した二人だけれど、ずっと一緒にいることはできなかった。

友情も名声も手に入れたが、恋は続かなかった。

それこそが、だからこそ、過去が輝かしく大切なものとしてドラマに描かれるものだから。

二十五、二十一
ドラマ「二十五、二十一」感想

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